秋田県秋田市 国道13号線茨島交差点近く 対象年令5歳~15歳

医師・スタッフ紹介

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医師・スタッフ紹介

院長・医師 相場進

【経歴】

昭和36年 秋田高校卒業
昭和43年 日本歯科大学卒業
昭和45年 東京医科大学口腔外科卒業
昭和45年~
昭和50年
秋田鉄道病院勤務
昭和50年~ あいば歯科医院

「多趣味は無趣味と似たり」とよく言われますが、私は全くの多趣味でして、何にでも興味を持ってしまいます。しかし、しばらくしてそれが自分に合わないと気づくとすぐにやめてしまいます。友人に言わせると「お前は飽きっぽい」となります。

しかし、実はそうではなく、本当に自分に合ったものを見いだせずにいるだけなのです。その中で唯一続いているのが、歯科医療です。これは飽きずにやっております。これだけは今後も続きます。

他の趣味といいますと、釣りが好きでした。自然のまっただ中に入り込む渓流釣り、鮎釣りは長く続きました。最近は危険なのと体力の関係でやめております。今では、いつまでたっても上達しない英語学習と穏やかな川や湖沼のカヤックをやるようになりました。これは気持ちのよいものです。それと最近のことですが、バラの手入れが好きになりました。バラの庭にしようと思っています。次第に穏やかなことがよくなっているのでしょう。

年齢とともに人間のことが少しずつ解るようになり、それに伴って楽しみも増してきているようです。

 

副院長・医師 相場隆広

【経歴】

平成2年 函館ラサール高校卒業
平成10年 岩手医科大学歯学部卒業
平成10年~
平成14年
秋田大学医学部付属病院歯科口腔外科勤務
平成14年~ あいば歯科医院
【所属学会】
・頭頸部がん学会
・日本口腔外科学会
・日本口腔インプラント学会
・スタディーグループ 一水会 会長

私には歯科医として大切にしている想いが2つあります。1つは患者さんが「恐い」と感じない歯医者であること。もう1つは患者さんの治療後の生活をいかによくできるかを考えながら治療を行うということです。

祖父の代から続く歯科医の長男として生まれた私は、まわりが当然のように跡を継ぐものだと思っているのが嫌で、子どもの頃はとにかく歯医者以外の職業に就こうと思っていました。そんな私が歯医者になろうと思ったのは、高校生の時、バスケットボールのプレー中に歯を折ってしまったのがきっかけです。痛みもさることながら、それまで虫歯にすらなったことがないため、とても不安だったのを覚えています。そんな時に頼ったのはやはり父でした。父が紹介してくれた函館の歯科医師は、ほとんど痛みを感じさせずに治療をしてくださいました。この時に初めて歯科医になろうという気持ちが芽生えてきたのです。そして、自分が怖かった経験から「患者さんに痛みや恐怖を感じさせない歯医者になろう」という決意をしました。この時の気持ちは今も変わることはありません。

その後、必死で勉強して岩手医科大学の歯学部に入学し、細胞の不思議、人体の不思議、生命の不思議についての勉強にのめり込みました。卒業後は当時「入れ歯治療日本一」といわれた教授がいる岩手医大に大学院生として入局しました。ここでは、「良い入れ歯で歯以外の病気が良くなった」というような貴重な経験をさせていただきました。学生時代を終えた後は秋田大学付属病院の口腔外科に研修医として受け入れていただき、がん治療から骨折治療、形成外科的整容医療、インプラント治療まで行う外科医としての修行をすることになりました。ここは、職人としての歯科医ではなく、一人の患者さんをチームとして支える医師という仕事を根本からはじめて理解できた場所であったと思います。医学部の麻酔科にも勤務し、自分で麻酔をかけることができるようになったことは今でも大変役に立っています。

この病院で私はひとりの口腔がんの患者さんに出会いました。奥歯の周辺のがんが他の場所にも転移しており、手術だけでは普通の生活に戻れない状態でした。それでも必死に手を尽くして治療を行い、無事に社会復帰できるようになったのです。退院が決まった時は本当にいい笑顔で「また普通に元の会社に行けるようになりました。本当にありがとうございました」と言ってくださいました。この経験をきっかけに、単に歯を治すのではなく、治療後の生活をいかによくできるかを真剣に考えるようになりました。

こうして口腔外科医としての経験を積んだ私は、実家であるあいば歯科に帰ってきました。今は、副院長として患者さんに接するだけでなく、患者さんの治療後の生活をより豊かにするために積極的に海外の論文や最先端の治療について学んでいます。入れ歯やインプラントの治療を終え、美しい歯が入るとき、皆さん本当にすばらしいお顔で微笑まれます。涙ぐむ方もいらっしゃいます。そのようなことを、私たちのチームで成し遂げられることを誇りに思うとともに、心からありがたく思います。これからも、患者さんとのこんな関係をずっと続けていくことが私の願いです。

 

医師 相場砂織

【経歴】

平成3年 盛岡第二高等学校卒業
平成9年 岩手医科大学歯学部卒業
平成9年~
平成10年
岩手県立中央病院歯科口腔外科勤務
平成11年 岩手医科大学小児歯科講座卒業
平成11年~
平成13年
中通歯科診療所勤務
平成14年~ あいば歯科医院

副院長の妻であり、11歳、8歳、5歳の3人の子どもの母親です。歯科医師としての仕事と家庭のことに追われ、いっぱいいっぱいといった感じなのですが、さらに、ガーデニング、ステンドグラス、パッチワークなど、趣味もたくさんあります。睡眠時間もしっかり取りたい私は、「もっと一日が長ければいいのになあ」といつも思っています。

あいば歯科では、女医ということでお子さまを担当することが多く、その時にいつも思うことがあります。それは、「あいば歯科に来たら、これからはもう絶対に虫歯にしない」 ということです。たとえ乳歯が虫歯になったとしてもあきらめないでください。きちんとした治療と毎日のケアで、大人の歯、永久歯は虫歯にしないことができます。

お子さまに限らず、歯医者は敬遠されがちですが、皆さんが何でもお話しできる雰囲気でコミュニケーションがとれるように心がけています。そして、皆さんがあいば歯科に行くのを楽しみにしていただけるような場所をつくり、いつも笑顔で患者さんと向き合いたいと思っています。

 

歯科衛生士・スタッフ統括主任 大藪香織

歯科衛生士になった動機は、「白衣を着たかった」「資格を取りたかった」「親の勧めがあった」「当時歯医者さんに通っていた」という、今思えばとても単純なものでした。

それでも、すべてが今の楽しい毎日の原点につながっていると思うと、自分の選択は間違っていなかったと感じます。人生は色々な偶然やきっかけ、そして選択の積み重ねによってつくられていきます。今の自分もそうやってここまできたように思います。あの時、もし違う選択をしていたら全く違う人生を歩んでいた。自分が深く考えすぎる性格でなくてよかったなあと思います。でも、もしかしたらそれは偶然ではなく必然だったのかもしれません。

素敵な仲間との出会い、家族の支えがあり、今、私はここにいられるのだと思うとすべてに感謝です。偶然が偶然をよんで、どんどんつながっていく。 自分で無理に変えるのではなく、偶然に導かれて進んでゆく。これが私らしい人生だと思います。そして今、あいば歯科で働けているのもたくさんの偶然のおかげです。これから先も、患者さん、先生、スタッフの皆と楽しく生きていけたら私は幸せだと思います。

 

歯科衛生士・衛生士主任 小笠原素子

歯科衛生士、それは中学校の時に決めた私の夢です。それまでは小さい子どもが好きだったので保育士になりたいと思っていました。子どもの面倒を見るのが好きで、学校が終わるとランドセルを背負ったまま近所の子の家に行き、よく遊びにいっていました。

中学校に入学し、初めて歯科衛生士という職業を知りました。最初は、「歯科衛生士って何だろう?」という疑問から始まり、歯医者のお姉さんの仕事だと知ってさらに興味を持つ様になりました。その興味は次第に夢へと変わり、高校ではその夢に近づくために三年間一度も欠席することなく努力をして専門学校に合格することが出来ました。

専門学校では、国家資格だけではなくホームヘルパー2級も取得し、歯科衛生士として初めてあいば歯科医院に就職しました。最初は覚える事に必死で、不安もいっぱいあり、自信を失くした事もありました。でも、少しずつではありますが仕事を覚え、いろいろと自分で出来るようになってくると、仕事が楽しくなりました。患者さんから「気持ちよかった」「ありがとう」「また来るね」などと言われるととても嬉しく、「この夢を諦めなくて良かった」と思います。

10年後、20年後のことはわかりませんが、歯科衛生士は、家庭を持っても続けられる仕事です。これからも多くの方の笑顔を見たいので、まだまだ私自身も成長し続けたいと思います。

 

歯科衛生士 古山沙織

小さい頃からワンパクで、男の子に混じって秘密基地をつくったり、外で遊ぶのが大好きな女の子でした。みんなに可愛がってもらって何不自由なく生活をしてきましたが、「将来はこんな仕事をしたい」と強く思うような目標はなく、ただなんとなくOLで働いて、何年かしたら結婚して出産して…という漠然としたことしか考えていませんでした。

歯科衛生士として働きたいと思ったきっかけは、高卒で歯科助手として働いていた時です。歯学のことはあまりわからず、患者さんから質問されてもろくに説明ができない、限られた仕事の中で、不満と物足りなさを感じたのです。

社会人から学生に戻ることに不安はありませんでした。もっと歯について知りたい、患者さんに上手に説明できるようになりたいと思う気持ちで頑張ってくることができました。

「何かを極めること」。それは簡単ではありませんが、謙虚に学ぶ姿勢と相手を思いやる気持ちを大切に、これからもプロフェッショナルな歯科衛生士を目指し、精進していきたいと思います。

 

歯科技工士・技工士主任 三浦郁恵

私は「考える」という事が好きです。「どうしてこうなの?」「なぜそうなったの?」と、真面目なことからくだらないことまで、いつもいろいろ考えてしまいます。そういえば子どもの頃は、学校での発表会や人前で発言するのが苦手で、いつも一歩ひいた場所から周囲を観察したり、自分の中で答えを見つけていてもなかなか人に伝えることが出来ずにいた気がします。

子どもの頃の一歩ひいてしまうクセが、今の「考える」ことのきっかけになったと思いますが、人前での発言が苦手という部分については、現在朝礼で行っている「good&new」のおかげで、少しずつ改善されてきたような気がします。「good&new」とは、1日の良かった事、新しい事を、どんな事でもいいので1つ発表し、物事を良い方向で考える習慣をつくるという目的で行っているものです。毎日の発表で、少しずつ発言することに慣れてきた気がします。

子どもが生まれてから、特によく考えるようになったのは教育のことです。毎日のようにニュースで見かける異常な犯罪、政治家や地位のある方々の失言、モンスターペアレント…これらは全て教育の未熟さが原因だと思うのです。以前TV番組でタレントの美輪明宏さんが、「今の日本人は想像力が足りない。それをやったらどうなるか、という事を想像できないから簡単に罪を犯してしまう」とおっしゃっており、確かにその通りだと思いました。

想像力を養うにはいろいろな考え方を知る事が必要です。そのためには、多くの人の意見を素直に聞き、まがった考え方をしないことが重要かなと思います。そして、親や家族が子どもに愛情をたっぷり注ぎ、正しい日本語で物事の意味を教え、自ら考える力を養うこと。それが大切だと思います。

今の私は、残念ながらすべては理想どおりに出来ていません。毎日の仕事に追われてしまい、電話で子どもに「お休みなさい」を伝える日もしばしば…。一生懸命に仕事をする姿を見せるのは決して悪いこととは思いませんが、なるべく子どもや家族との時間を増やし、大切にしていければと思います。

 

歯科技工士 進藤綾子

あいば歯科医院は、私が歯科技工士として初めて就職した医院です。子どもの頃から、手芸や工作が好きだった私は、何かをつくる仕事をしたいと思っていました。歯科技工の仕事自体は「歯をつくる」という漠然とした知識しかありませんでしたが、専門的な技術を習得すれば手に職をつける事ができるし、自分に向いているのではと考えました。

しかし、実際に働き始めるとその仕事の厳しさに直面し、何度も挫折しそうになりました。それでも周囲の応援や先生の励ましでなんとか続けることが出来ました。その後、出産を機に退職し9年間専業主婦として育児に専念していた私は、再びあいば歯科で歯科技工士として働くチャンスを頂きました。大きな不安を抱えての再出発でしたが、家族に支えられこうして自分の場所が持てることに感謝しています。

仕事と家庭の両立に日々奮闘する中で、なかなか自分の時間が持てずにいますが、今は家族と共有する時間を一番大切に思っています。また友達や仲間と、お酒を飲みながら盛り上がることも私のエネルギー源となる大切な時間です。先々の事を考えると、不安は多々ありますが、子どもの健やかな成長を見守りながら、自分自身が少しずつでも成長することで、より良い未来へと繋がってゆくことを信じています。

 

受付・受付主任 佐藤めぐみ

私はあいば歯科で働く前に、販売員として働いた経験があります。女性の多い職場で人と接する仕事をしたいという思いがありました。

小さい頃から親の仕事の都合で引越しを繰り返していたのですが、すぐに環境になじむことができずに、ひっこみ思案な子どもだったように思います。そんな私が接客業を選んだことに、きっかけがあったのかはわかりません。それでも販売の仕事を通じて人と接し、その中で学んだことを、今は受付として患者さんとのコミュニケーションに役立てたいと思っています。

私はあいば歯科の一員として、一番初めに患者さんとお会いする立場です。入社当時は、慣れないことに戸惑ってばかりで不安を抱えて来院する患者さんの気持ちに気づくことができず、逆に不安にさせてしまっていたこともあったかもしれません。混みあっているときの対応が雑になってしまっていなかったか、お電話を下さった患者さんの気持ちを把握できたのか、毎日自分に問いかけてみます。出来なかったことに対して、言い訳をするのではなく、どうすれば良かったのかを考え、少しずつ進化していくことを目標に頑張っています。

 

アシスタント主任 斎藤律子

私には言われた事は必ず守るようなまじめな一面があります。そのひとつがあいさつです。小さい頃から親にあいさつはちゃんとしなさいと厳しくいわれてきました。小、中学校でお世話になった先生方にもあいさつの大切さを学びました。

こうして身につけたあいさつのおかげで友達がたくさんできました。社会人になって初めて就職した時も、「周りの人はどんな人かなぁ?」「仕事は覚えられるかなぁ?」などの不安がありましたが、あいさつからコミュニケーションが始まり、周囲の人にとけこむ事ができました。あいさつの仕方によっても相手の対応は違うことを知り、最近では人間関係を円滑にするようなあいさつができるようになってきたかなと思います。

これまでは、毎日やることを覚えてこなすのに精いっぱいで、責任感を感じる余裕もなく、漠然と仕事に取り組んでいたように思います。でも、結婚や出産という大きな経験をして、子どもへの教育、成人するまで育てていく責任など考えると、自分の行動にも責任を持たなきゃなぁと実感するようになりました。

最近は若いスタッフをまとめる主任となり、気持ちにも少しずつ余裕がでてきたように思います。彼女たちの仕事への不安などを考え、自分の経験から相談に乗ったり声をかけることができるようになりました。仕事もこれまで以上に責任感を持って果たすようにしています。仕事に対する責任感と、あいさつから始まるコミュニケーションを大切に、これからも皆で仲良く過ごしていければと思います。

 

アシスタント 池田佳恵

私は幼い頃から「泣き虫だけど頑固」な子どもだったと思います。ちょっとしたことで泣いてしまうのですが、自分に対して意見される事がととにかく嫌いな一面がありました。この性格は幼い頃から基本的に変わっておらず、頑固な所は良い面でも悪い面でも発揮され続けています。そして最近この性格をより実感するようになりました。

最近はネイルアートや携帯電話をデコレーションする事に関して、人一倍この性格が出ている気がします。「こうしたい」が決まると一直線で、いろいろ考えるうちについつい自分の時間を使ってしまいます。こうなると「こうしたらもっといい」などアドバイスをもらえても、「自分はこうだから」とせっかくの意見が聞けなくなってしまいます。ここで出てしまう意地、頑固さはこれから先直していかなければならい自分の課題だと思います。

もうひとつ、私にはどこかで自分にはできないと決めつけてしまうところがあります。今の仕事も、初めのうちは、新しい事、知らない事を始めるので不安でしかたありませんでした。でも、多くの経験を重ねるうちに、「やってやれないことはない」ということを学びました。「どんな事も初めからできるわけがないのだから」と思えるようになりました。

まったく知らない世界に自ら飛び込み、今も分からないことだらけの日々ですが、毎日何かしらできるようになり、成長している自分も確実にいます。知りたいこと、手に入れたいもの、チャレンジしたいことがまだまだたくさんあるので、恐れずに多くの事を経験していきたいと思います。

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